2026年度
教員名
専門領域・卒論指導可能分野
政治学(原論・政治理論)、倫理学、社会理論、いのち論
演習題目
ゼミ紹介
このゼミでは、「悪・暴力・不正義を/から考える」と「いのちをめぐる政治」という二つの大きな柱をたててきましたが、最近では「いのち論」ゼミと自称しています。最首悟さんの「いのち論/問学(モンガクと読みます:問い学び、学を問う)」、立岩真也さんがその礎を築かれた「生きて存るを学ぶ=生存学」、そして、『「いのち」論のはじまり』『「いのち」論のひろげ』を書かれた村瀬学さん、この御三方の「ひとと仕事」に敬意をはらって、のことです。 共通テキストとして、ザ・古典をとりあげるようにしてきました。ひとりだけでは読むのがシンドイ書物をゼミの仲間と力をあわせて読み、巨人の肩に攀じ登って遥かかなた・遠くを望み見る練習=冒険もしてみよう、と。昨年度は、ハイデガー『存在と時間』高田珠樹訳(作品社)に挑戦しました。各自は各自で個別課題にも取り組みつつ。 2026年度の共通テキストとして、ゼミの音頭取りが提案するのは、 (1)ヘーゲル『精神現象学』(上・下)熊野純彦訳(筑摩書房=ちくま学芸文庫、2018年)、(2)リチャード・ローティ『偶然性・アイロニー・連帯――リベラル・ユートピアの可能性』齋藤純一・山岡龍一・大川正彦訳(岩波書店、2000年)、(3)最首悟『星子が居る――言葉なく語りかける重複障害の娘との20年』(世織書房、1998年)、 のいずれか。そして、「「我らの魂は下手なんだ。我らの肉体は本来、下手なんだ」。だからうまくなっていくことは、自分の場から離れていくことです。」(鶴見俊輔の発言、久野収・鶴見俊輔『思想の折り返し点で』)という言葉を念頭においてみたい。 ゼミ生それぞれがごじぶんにとっての「古典」ないしは「わたしの一冊」に出会い、その書との対話(シチテンバットウと読む)をとおしてかんがえた事柄を、ゼミの仲間につたえ、仲間からの厳しくも暖かい応答をうけとめ、また考えなおし、歩み、……ということをつづけ、それぞれの「いのち」論をかたどることばを創造=奪還してほしい。すでにそうしたことばを手にしているのなら、いっそう磨きをかけてほしい。――「生き方にたえずあらたな霊感を与えつづけるような具体的な生成力をもった骨髄としての思想、生きられたイメージをとおして論理を展開する思想」(真木悠介『気流の鳴る音』)をわがものとされるように。
卒論・卒業研究について
問いをもって生き、その問いをとことん考え抜く練習、地道に独り歩くこと――しかし仲間とともに――の積み重ねがあってこそ、卒業研究という大学生活の集大成ができあがってゆきます。その書き物は、学窓をあとにされてからも、おそらくは何かあったときに、手に取り、己が来し方を振り返り、たとえ闇にあっても足元を照らす一灯として「わたしの一冊」ともなることでしょう。 25年度には、以下のタイトルの卒業研究が書かれました。 ・「“西太后騒動”から見る排外言説の拡散と反差別実践について」 ・「井上毅の社会思想」 ・「国境を越える移動の自由の権利を否定することは可能かーデイヴィッド・ミラーの人権論と権利を尊重する義務の批判的分析ー」 ・「日本近代批判としてのアジア主義ー竹内好と米谷匡史の思想的連続と限界ー」
受講上の注意など
演習担当者がおこなう授業、基礎演習、あるいは導入科目「政治社会論入門」を履修済みであるか、あるいは、担当者がおこなう専修科目「政治理論」を演習履修時と同時並行で履修することをつよくもとめてきました。 ごじしんの関心のある学問の歴史そのものにふれてみることは、あるいは、もっと手前で、だれかひとりの書き手(学者、研究者にかぎらず!)の「ひとと仕事」に耽溺してみること、あるいは、現代世界論コースで開講されている授業のいずれかにかんして「勉強バカ」になりきってみることは、ごじぶんで政治や社会や生そのものを見通すうえで、きっと支えになるはずです。 履修を希望されるかたには、選抜の有無にかかわらず、以下の課題に応える文章を提出していただいてきました。 「あなたじしんが構想する〈いのち〉論では、どのような課題群、テーマ群、問題群(複数形であることに注意!)が立てられるか。それぞれの課題、テーマ、問題について、あなたが読むべきと考えるテキスト(書籍や論文あるいは小説、詩、映画など)を少なくとも一つはあげてください。字数は2000 字以上とします。」
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